フードデリバリーと情報発信で自分らしく生きる!かたぴのプロフィール

かたぴ

みなさんはじめまして!ブログを見に来ていただいてありがとうございます!

フードデリバリーと情報発信の仕事で自由気ままに生きているかたぴです。

過去の自分と向き合いながらその時々で自分の思いに素直になって行動を繰り返してきた結果、今の自分にたどり着いてしまいました。

そんな今の私は以下のような考えが人生の軸になっています。

  • 時間や場所に縛られない生き方をしたい
  • 好きなだけでなく得意だとも思える仕事をしたい
  • 情けなかった過去の自分を少しでも乗り越えたい

そこでこの記事は私かたぴのプロフィールページということで、ただ何をやっているかだけではなくこういった生き方をするに至った経緯を時系列を追ってお話していこうと思います。

少しでもどんな人間なのかが伝わったら幸いです!

まずはざっくり!かたぴってどんな人?

時間がない方のために、まずはざっくり自分のことをお伝えします。

  • 1990年11月3日生まれの34歳
  • 神奈川県の川崎市に生まれ、東京都の練馬区で育った
  • 学生時代はサイクリング部に所属し自転車で日本中を走り回っていた
  • 2015年3月に理系の大学院(修士)を卒業後、正社員でAndroidアプリ開発エンジニアとして計2社で勤務
  • 会社員をしながらバイクの免許を取ったり、ブログでの情報発信を始めたり、Uber Eats の配達を始めたりした
  • 『欲に負けて同棲していた彼女を捨てた当時の情けない自分』からの脱却が今なお続く行動の原動力
  • 2019年9月(28歳のとき)に会社員を辞め、フードデリバリーと情報発信の組み合わせで生きることを決意
  • 軽貨物を黒ナンバー化&後部座席で車中泊できるようにして、日本各地で仕事しながら生活できるようにした

詳細が気になる方は以下を読み進めていただければ幸いです。

ちなみに本気入れて書いたらかなり長くなってしまったので覚悟してください(笑)

幼少期〜自転車乗りとしての目覚め〜

神奈川県川崎市に生まれる

生後7ヶ月くらい

1990年11月3日に私かたぴはこの世に誕生しました。

生まれた場所は神奈川県川崎市にある聖マリアンナ医科大学病院だと親から聞いてます。

2歳くらいに神奈川県川崎市から東京都練馬区へ引っ越し、今もそこに実家があります。

その後、2歳下の妹と3歳下の弟も生まれ、3兄弟の長男として生きてきました。

両親が離婚、母子家庭に

確か小学校4年生くらいの頃でしょうか。

父親の浮気が原因で両親は離婚。

東京の実家から父親は出ていき、以後はずっと母子家庭で育ってきました(ちなみに父親とは現在も年に1回か2回は会ってサシで飲んだりしています)

両親が離婚してからというもの、自分が長男ということもあり母方の祖母から離婚に至った経緯をよく聞かされていました。

そんな生活が続き、小学生ながら自分はこのように思ったのです。

「自分は将来、奥さん(パートナー)を泣かせるような男にはならない」

ネット世界に向けて真顔でキーボードを打っている今、なかなかにこっ恥ずかしい気持ちでもあるのですが、当時このように本当に思っていました。

しかしこの思いは、後の彼女との同棲時代に自ら捨ててしまうことになります(その話は後ほど)

自転車で走ることの楽しさに目覚める

離婚して出ていった父親は当時高田馬場でひとり暮らしを始めました。

実家のある練馬区から高田馬場、決してそこまで遠い距離ではありません。

そんな高田馬場の父親が住むアパートまで、単独で自転車で行ってみたのです。

自転車は内装変速3段のごく普通のシティサイクル。

当時、自分が12歳(中学1年生)の頃のことで、片道10kmの大冒険でした。

元々クルマで何回か父親の元へ連れて行ってもらったこともあり、道は完全に頭に入っていたんですよね。

何回か行くうちに「自分の力だけで行ってみたい」って思うようになったのがきっかけです。

以後、中学高校と自転車で街を走り回ることが圧倒的に増えていきました。

高校生のときは吹奏楽部としての高校野球の応援のため、自宅と球場の往復60kmの道のりを2日連続で自転車で通ったほど。

まぁ他の部員が全員電車で向かっているのに自分ひとりだけ自転車で向かったわけですから、当時からひねくれ者な性格だったんですがね…笑

それくらいに自転車で街を走り回ることが好きになっていました。

学生時代〜自転車乗りとして没頭〜

今でも乗っているシクロクロスバイク

2009年4月、時は流れて大学生に。

大学は芝浦工業大学(工学部情報工学科)に入学しました(後に大学院にも進学)

ここから自転車乗りとしての自分が一気に開花!

サイクリング部に入部する

中学高校と自転車で走り回りましたが、大学では「もっと走ってみたい」という思いからサイクリング部に入部しました。

北海道に自転車をフェリーで持っていき、野宿オンリーの9泊10日の夏合宿をしたり。

2009年北海道9泊10日夏合宿

2011年の春合宿の終着点である広島県福山市から5泊6日で東京の実家まで自転車で帰ってきたり(1日目が東日本大震災の日だった)

2011年春合宿の帰り道

当時ゲームセンターにあったアーケード版アイドルマスターの設置店を自転車で巡ったり(推しは春香でした笑)

アーケード版アイドルマスターの設置店を自転車で巡る旅

ここに載せたのはほんの一例で、遠方の地だろうとひたすら自転車で走り回る日々を送ってました。

卒業旅行で9泊10日の大分を目指す旅

2015年3月。

就活も難なく終え、無事に修士論文の発表も終えて、計6年間の学生生活も終わりが近づいてきました。

さて、学生最後と言えばやはり卒業旅行じゃないでしょうか?

学生時代の集大成として自分らしい旅にしたい!

そんな思いから、卒業旅行として東京都練馬区の実家から大分県の父方の祖父の家を自転車で目指すことにしました。

やってることは先に書いた中学1年生の頃と変わっていません。

要するに公共交通機関や誰かの運転に頼らずとも、自分の力だけで行ってみたかったのです。

あと、この卒業旅行の約2年前に祖母が亡くなっており、東京から大分まで自転車ではるばる線香をあげに行くということもしたかったんですよね。

ひたすら走り続けて・・・

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京都府の福知山駅

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山口県の角島大橋

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関門海峡を越えて九州へ

9泊10日の旅を経てとうとう大分県の祖父の家に到着!

東京から大分の祖父の家まで自転車でやってきた!

自転車を通じて自分の成長を大きく感じた瞬間でした。

6年間の学生時代の間に自転車で走った距離は30,000km以上に!

旅好きな自分が確立された、学生時代の自転車乗りの経験でした。

会社員時代〜山あり谷あり〜

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2015年4月、社会人になる

今でも会社員時代の経験は大きな人生の分岐点だったと思います。

株式会社ナビタイムジャパンに新卒で入社

2015年4月。

新卒8期生として株式会社ナビタイムジャパン(乗換アプリとかナビゲーションアプリを手掛けている企業)に入社しました。

情報系の理系大学卒というだけでなく、面接では『学生時代の自転車で走り回った経験』はもちろん『ナビタイムのアプリを実際にユーザーとして使って思った改善点』も伝えました。

きっとそんなところを買っていただけたのではないかなと思います。

会社員時代の職務はずっとAndroidエンジニア(Androidスマホのアプリを開発するエンジニア)でした。

普通自動二輪免許取得&250ccバイク購入

ナビタイムに入社したら、学生時代の自転車乗りの経験から『自転車乗り向けのナビゲーションアプリ』を扱う部署に行きたいなと思っていました。

3ヶ月の新卒研修後に念願通りその部署に配属されることになったのですが、最初に携わったプロダクトは自転車ではなく『バイク乗り向けのナビゲーションアプリ』だったのです。

当時、自転車のアプリとバイクのアプリは同じ部署で開発していたんですよね。

「自転車乗りの気持ちは分かるけど、バイク乗りの気持ちは分からない・・・」

そこで、配属されて数ヶ月後に自分の意志で二度目の自動車教習所へ通うことに。

もちろん目的は普通自動二輪免許の取得です。

やっぱり携わるプロダクトはユーザーとしても試してみたいじゃないですか。

程なくして普通自動二輪免許を取得し、数ヶ月後には冬のボーナスでバイクまで買ってしまいました。

スズキのGSR250を購入(2015年12月)

卒業旅行以来の角島大橋

自転車だろうとバイクだろうと、自分でハンドルを握って、風を切って走る乗り物であることに変わりはありません。

行動範囲が大きく広がり、今まで以上に短期間で多くの場所へ行けるようになりました。

これを期に、更に旅が好きになりましたね。

大分に住む祖父が亡くなる

2016年4月、社会人2年目になったばかりの頃、大分に住む祖父が亡くなりました。

通夜や葬式には参列したものの死に目には会えず。

学生時代の卒業旅行で大分まで行っておいて良かったと思った一方、社会人1年目は一度も大分の祖父の元へは顔を出さなかったんですよね。

やはり、社会人になってから学生時代の頃ほどは時間が取れなくなってしまったというのが率直なところです。

「もっと時間や場所に囚われない仕事ができたら、死に目にも会えたんじゃなかろうか?」

そんな悩みを抱えながらも、まだこのときはそんな理想を叶えるために何をしたら良いか分からない日々でした。

仕事に悩み始め精神科に通い出す

バイクも購入して土日や長期休暇などでツーリングを楽しむ一方、仕事はなかなかの苦戦でした。

慣れないAndroidエンジニアという仕事に加えて、職場の人間関係に悩んでしまう日々。

少しでも一人になりたくて、社内の休憩スペースでランチはせず、昼休みに弁当を持って公園のベンチで一人で食べるような日々が続きました。

そんな生活が続いてとうとう入社二年目の終わり頃に精神科に通うほどに。

今の自分からすると考えられないことですが、改めて振り返ると、当時は人間関係に対する対処法も心得ておらず視野も非常に狭かったなぁと思っています。

結果的に半年ほどで精神科に通うことは無くなったのですが、そのきっかけにはある方との出会いがありました。

ブロガーになる

精神科に通うようになり、職場での居心地も段々と悪くなる日々。

「このままではまずい」

そう思った自分を駆り立てたのでしょう、気づいたときには会社員ならではの悩みとその解決法をGoogleで調べまくってました。

そんなときに偶然ネットで見つけたのが、会社員からブロガーとして独立したあんちゃさんという女性の方でした。

あんちゃさんのブログの記事を読んでいくに連れて「もっと学びたい!」という思いが強くなり、当時あったあんちゃさんのオンラインサロンにも入会。

程なくして「自分もブログで収入を得てみたいな」と思うようになり、2017年9月、見様見真似で副業ブロガーとしての活動をスタートさせました。

当時の自分のブログの収入は微々たるものでしたが、それよりも大きかったのはブロガーという情報発信活動を通じて他のコミュニティに目が向いたことでした。

「別に今いる会社だけがすべてじゃないんだ」って。

会社だけがすべてじゃない

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あんちゃさんのオンラインサロンのイベントで登壇させていただいたことも

情報発信を始めてからというもの、自分の発信がきっかけで誰かに感謝されることが増えました。

身近な人だけでなく、一度も会ったこともない遠くにいる人からも。

これぞネットでの情報発信の醍醐味なんですよね。

「あぁ、自分でも誰かの役に立てているんだな」って。

ちなみにあんちゃさんのオンラインサロンは解散になり今では関わることもなくなってしまいましたが、今でも情報発信の師として陰ながら尊敬しています。

コインチェック株式会社に転職する

その後ブロガーとしての活動も続ける中で書いた記事がきっかけとなり、2018年3月、暗号通貨の取引所であるコインチェック株式会社に転職することになります。

元々2018年2月入社予定だったのですが、1月にコインチェックでNEM流出事件があって入社が延期になってしまいました。

「入社そのものが取り消しになるんじゃ・・・?」という不安もありましたが、なんとか1ヶ月遅れで入社することに。

職種は前職に続きAndroidアプリを開発するエンジニアです。

コインチェックには会社員でありながら個人でも仕事をバリバリしているメンバーが多くいて、非常に環境は良かったですね。

やはりどんな環境に身を置くのかで日々のライフスタイルに対する考えも変わるなぁって。

同棲していた彼女と別れる

コインチェックに転職したこと自体は良かったのですが、総じて振り返ると、2018年は自分にとってやらかした1年間でした。

というのも、学生時代から付き合っていて2年ほど同棲していた2歳下の彼女(付き合ってからは5年弱)と別れたんですよね。

原因は自分の浮気です。

当時、同棲を続けている中で彼女との考え方の違いから今後の関係に悩んでおり、正直「結婚は難しいな」と思い始めていました。

そんな生活を続けていくうちに、年上のある女性(Bさんとします)と出会ったんですよね。

色々と悩みも聞いてくれて、年下彼女との同棲生活にマンネリ化もしていた自分にとってはBさんと過ごす時間は新鮮そのもの。

帰りが遅くなる日も増え、自分はBさんにどんどんとのめり込んでいきました。

最終的に同棲していた彼女に別れを告げて家を引き払い、引っ越し資金のために入社1年目に買った250ccバイクを手放し、Bさんと過ごす時間を増やしたくて渋谷に引っ越しました。

でも、結局Bさんとも長続きすることなく約3ヶ月でお別れに。

一気に何もかも失ってしまったような感覚に陥り、家で声を上げて泣く日々が何日も続きました。

「自分は何をやっているんだろう?」

誰のせいでもない、すべて自分の責任です。

今振り返っても本当に未熟な自分だったと思います。

幼い頃にあれほど両親の離婚を見て「自分だけは浮気しないぞ」と思っていたのにも関わらず、こんなにもあっさりと意志が折れる自分に絶望しましたね。

「1日前の自分より、1週間前の自分より、1ヶ月前の自分より、1年前の自分より、成長したと思える生き方をしたい…!」

情けない自分が少しでも遠く霞んでしまうくらい前へ進み続ける、それが今の自分の生きる糧です。

あの絶望した日々があったから、今は並大抵のことではへこたれなくなったのかなとも感じていますね。

Androidエンジニアとしての適性に疑問

同棲していた彼女やBさんとも別れ、一人の生活に戻って会社員として仕事をする日々。

自分と向き合う時間が増え、今後の仕事や生き方について考え始めます。

「このAndroidエンジニアという仕事は自分にとって向いているのだろうか?」

正直なところAndroidエンジニアである自分には自信が持てていませんでした。

なぜかというと、仕事の時間中しかAndroidに携わっていなかったから。

エンジニアの世界というのは非常に技術革新が早い世界であり、能動的に最新の技術を学び実践していかなくてはなりません。

つまり、仕事以外の時間でも自分でその技術を試してみる(プライベートでアプリを開発してみる)といった行動も求められます。

でも、自分にはできませんでした・・・いえ、やらなかったというほうが正しいのでしょう。

怠慢と言われればそれまでなのですが、プライベートの時間になるとどうしてもAndroid以外のことに目が向いてしまいます。

Androidのアプリ開発を努力だと思うことなく没頭できるような人もいるのに、努力してやらなきゃいけないと思うような自分がどうやってこの業界でやっていけるというのでしょうか。

「このままだと自分のAndroidエンジニアとしてのスキルは市場についていけなくなる・・・でもどうしてもやる気が起きない・・・」

嫌々ながら努力してでもAndroidエンジニアを続けていくか、本当に自分が得意で没頭できるようなことを仕事にするか、その二択を迫られていました。

Uber Eats の配達員デビュー

仕事に対して悶々とする生活の中、ある日会社の同じチームの仲間とランチすることに。

すると仲間が「今日はUber Eats(ウーバーイーツ)で頼もっか」と言いました。

「・・・ウーバーイーツって何だ??」

そう、2018年当時の自分はまだ知らなかったのです、そんなサービスが存在していたことに。

会社は渋谷にあったというのにね・・・笑

仲間に食べたいメニューだけ告げて注文してもらったところ、30分ほどで配達員が自転車に乗ってオフィスの入ったビルまで食事を届けに来たのです。

「な、なんだこのサービスは・・・!」

衝撃でした。

そんな仕事があるのかと。

程なくして恵比寿のパートナーセンター(今はもう閉鎖されましたが)での登録会に私も参加していました。

2019年2月にUber Eats の配達員デビュー

ここに来てやっとフードデリバリーの話です。

長かったですよね(笑)

学生時代にずっと日本で旅してきたパートナーとも言える自転車が再び日の目を見た瞬間です。

実は、同棲していた彼女と別れて渋谷に引っ越してから1年近く自転車に乗らない日々が続いていたんですよね。

そんな日々が嘘だったかのように、毎日夢中で走ってましたよ。

「なんでこんなに楽しいんだろう?」

そうだよ、自分は幼少期からずっと自転車で走り回ってきたじゃないか。

会社員生活5年目で会社員を辞めた

本業で会社員としてAndroidエンジニアをしつつ、プライベートではUber Eats の配達をする生活が半年ほど続いた頃。

毎週のUber Eats での配達の収入とブログからの収入を合算して思ったのです。

「今よりは収入は間違いなく減るけど、固定費を減らしたらUber Eats とブログの収入だけでも何とかやっていけるんじゃね?」

自分が言うのもなんですが、勤めていたコインチェックは世の中的に見れば相当なホワイトな会社だと思います。

福利厚生もかなり充実してましたし、年収も悪くはありませんでした。

それでもAndroidエンジニアという仕事の適性についてはずっと悩んだまま。

仕事を通じて社内で他のメンバーから感謝されることはあっても、依然としてプライベートではまったく勉強も開発もしない、エンジニアという仕事人として自信の持てない自分に変わりはなかったのです。

ホワイトな会社に残って会社員として苦手な仕事を続けるか?

収入や安定を捨ててでも自分に自信を持って好きで得意だと思える仕事をやるか?

2019年9月、自分は会社員を辞める道を選びました。

そして現在に至ります。

そして現在〜フードデリバリーと情報発信〜

時間と場所に縛られずに生きていく

大学院卒とAndroidエンジニアという会社員時代のキャリアをすべて捨てて、フードデリバリー(当時はUber Eats だけ)と情報発信の組み合わせでの生活。

最初このような生き方を始めることに多くの反対の声もありましたし、前職の一部のメンバーから馬鹿にされることもありました。

でも、直感で感じたのです。

今の自分はこの生き方でやっていくのが良いんだと。

一度きりの人生、後で後悔しないようにやれるところまで思いっきりやってみようって。

バイクを再び購入した

会社員時代に大きく後悔したことのひとつに『250ccバイクを手放してしまったこと』があります。

同棲していた彼女と別れたときに渋谷への引っ越し資金にしてしまったんですよね。

改めて思ったのは、旅の仲間を簡単に切り捨てるもんじゃないなと。

「もう一度バイクに乗りたい」

会社員を辞めて渋谷からさいたま市に引っ越してから最初は自転車で配達をしてましたが、程なくしてバイクでの配達に切り替えました。

バイクでフードデリバリーをやるようになったのはこのときが初めてです。

現在も乗っているスズキのアドレス125を2019年12月に購入

「あぁこの感覚だ、また色々と遠出もしたい!」

1年半ぶりにバイクに乗り、自分はかつての楽しさを取り戻しつつありました。

フードデリバリー遠征を始めた

2020年4月、宮城県の仙台でUber Eatsが始まったのを期に、仙台までバイクで出向いてUber Eatsの配達をやってみました。

別に誰かに言われてやったのではありません。

『配達バッグ・スマホ・車両があればどこでも仕事ができるフードデリバリーの仕事』と『昔から旅することが好きな自分の性格』がかけ合わさった結果、自ずとやってみたくなってしまっただけなんですよね。

この仙台へのフードデリバリー遠征が、後に自分が仕事と旅を両立しつつ、好きな時間と好きな場所で好きなことをして暮らすという生活の第一歩となりました。

2020年12月、広島県の宮島にて

2021年1月、沖縄遠征

2021年8月、北海道の網走湖畔でキャンプ

決して収入は多くはないですが、沖縄や北海道で1ヶ月近く過ごすという、学生時代や会社員時代の自分からしたら羨ましくて仕方がない生活が今ではできるようになったのです。

軽貨物を購入した

2020年7月、バイクに続いて中古の軽貨物(日産のNV100クリッパー)を購入しました。

最初はバイクを運搬することだけが目的だったんですよね。

遠征先までバイクを積んで、現地に着いたら下ろしてバイクでフードデリバリーをやるみたいな(まぁ結局そのスタイルは積み下ろしが面倒だったので2020年夏が最初で最後となりましたが笑)

その後しばらくの冬眠期間を経て、2021年5月には黒ナンバーを取得して軽貨物単体でも配達するようになり、現在のようにバイクとの2台体制になりました。

ちなみに軽貨物の後部座席には布団が敷いてあり車中泊ができるようにしてあります。

そのおかげでどこへフードデリバリー遠征しても宿泊費がかからない移動式生活拠点としても活用できるようになりました。

どこでも寝泊まりできる

ブログを中心に情報発信も継続中

情報発信でも収入を得ています

ここまでフードデリバリーしながらの旅について多く触れてきましたが、もちろん情報発信も継続して行っています。

みなさんが今読まれているこのブログもまさにそのひとつ。

ブログを始め情報発信の収入面での良いところは非同期的に収入が得られることなんですよね。

フードデリバリーは自由な仕事ですぐに収入になるのが魅力ですが、それでも時間と労力を同期的に提供しなくては収入が得られません。

言ってしまえばフードデリバリーの仕事は労働者であることに変わりはないんです。

一方の情報発信は初めのコンテンツ作りにこそ時間と労力が必要で、収入になるのにも時間がかかります(収入になる保証もありません)

ただ、一度インターネットという電子の海に流してしまえば、あとは自分が寝ているときだろうが遊んでいるときだろうが24時間365日収入を生み出す仕組みとして動き続けるんですよね。

必ずしも収入という芽を出すとは限りませんが、果実を得るために種まきしないことには始まりません。

なのでフードデリバリーをしながら空き時間や鳴らない時間に裏でコツコツ種まきと水やりをしているという感じです。

フードデリバリーと情報発信という二足のわらじを履いて、今日も元気に自分らしく楽しく仕事して生きています!

おわりに

軽貨物の後部座席で車中泊しながらブログを書く

「フードデリバリーという自分の得意が活きて自信が持てる仕事で直近の生活のための収入を得つつ、未来の自分を楽にするために情報発信も並行してコツコツ継続する」

会社員を辞めた2019年9月からずっと、自分はこのスタンスでやっています。

今後は情報発信での収益の割合をもっと増やしていきたいなと試行錯誤の毎日。

これからも自分の生き様の発信を通じて、

「自分の好きや得意と向き合う生き方」
「誰かに喜んでもらうための情報発信」
「非同期的な収入を得られる仕組みづくり」

をみなさんに伝えていきたいと思っています。

私もまだまだ道半ば。

これからも人生でもフードデリバリーでも走り続けます。

一緒に頑張りましょう!

遠征を通じて知り合った方々・過去にお会いした方々

フードデリバリー遠征を始めてからというもの、日本各地に知り合いもできました。

みなさんいつもありがとうございます!

メディア掲載歴/出演歴

インタビューを掲載いただいたメディア一覧です。