かたぴ
自分がネット上で情報発信をするにあたって非常に意識していることがあります。
それは攻撃的な発信をしないということ。
Twitter・ブログ・YouTube・stand.fm。
こういった自分が情報発信で利用しているツールすべてで攻撃的な発信をしないように心がけています。
まず言葉の定義ですが、この記事でいう攻撃的な発信というのは、相手を人格否定したり、マウントを取ったり、誹謗中傷をしたりといった個人攻撃のことを指します。
こういった個人攻撃と批判はまったくの別物ですから注意してください(批判は建設的な議論のためにむしろ重要です)
さて、自分自身は、ネット上において攻撃的な発信するのは百害あって一利なしだと思っています。
なぜなのか?
その理由は全部で5つ。
「人に当たりたくなることはないの?」
そんな方にぜひ読んでほしい。
理由①誰かに攻撃するのを自分のアイデンティティーにしないため
「誰かを攻撃している自分最高!」
「攻撃しているときが一番自分らしくいられる!」
「あいつを見下してると気分がスーッとする!」
上記のような思考になってしまうことを一番恐れています。
自分のことは自分で認めてあげる
好きなことや得意なことを仕事にする。
そんな仕事を通じて誰かに貢献する。
自分の実体験を誰かに活かしてもらえるよう情報発信する。
自分なら上記のようにやりたいことや目的が明確にあるので、攻撃なんかしなくても十分自分は自分だという自負があります。
いわば自分で自分を認めてあげられている状態。
誰かの反応を待ったり許可を得る必要なんてありません。
まずはありのままの自分自身を受け止めるところから始めましょう。
承認欲求の沼から抜け出す
例えばTwitterであれば、何か攻撃的な発信をしてリツイートやいいねがたくさん付いたことがある人もいるのではないでしょうか?
多くの人に影響を与えたり、反応があったり。
恐らく気持ちいいと思います。
ただ、誰かを攻撃することで承認欲求を満たしてたら、常に攻撃対象を探し求めるようになってしまいます。
攻撃しないとやってられない。
攻撃しない自分なんて自分じゃない。
攻撃しなきゃ誰も自分のことを相手にしてくれない。
こういった承認欲求の沼にハマると出られなくなりますよ。
自分の考え方や価値観を変えるなんて、簡単にできるもんじゃないからです。
攻撃的な発信で承認欲求を満たすようなサイクルから早く抜け出さないと手遅れになってしまう。
沼だけに、抜け出すのはどんどん難しくなります。
攻撃しなくたって人とつながることができる
この人間社会で生活を送る以上、まったく人と関わらずに生きることなんてできません。
そこで思うのですが、攻撃的な発信をする人は「攻撃的な発信をしないと人とつながれない」と思っているのではないでしょうか?
今の自分ではあの人に相手にしてもらえない。
自分のレベルが釣り合うくらい努力しないといけない。
でもその努力をする気力や勇気もない。
そういった努力を面倒に思い、攻撃的な発信で一気にアプローチをかけてしまう。
これが、攻撃的な発信をする人の本質だと自分は思っています。
確かに、普通の発信よりは攻撃的な発信のほうが目立つんですよね。
相手への印象も残りやすいというのも残念ながら事実。
ただ、攻撃的な発信には相手に対する尊重がありません。
年齢・性別・人種関係なく、対等な人として、相手とやり取りをしようとする意思が感じられないからです。
正直な話、攻撃的な発信なんかしなくても人とはつながれるんですよ。
自分の実績や人間性で地道に信用を築く道にはなりますけどね。
もちろん努力が必要ですし、時間もかかるので決して楽ではないことは確か。
攻撃的な発信をすると短期的には快感が得られるかもしれませんが、長期的に考えると攻撃的な発信はマイナスが大きすぎると思っています。
かたぴ
理由②攻撃的な発信をしていると攻撃的な人が集まってくるから
類は友を呼ぶ、この言葉は真理だと思いますね。
攻撃的な発信を日常的にやっていると、そういった発信を好む人が集まってきます。
誰かを攻撃すると逆に攻撃される
攻撃的な発信をすると同じような意見や考えを持つ攻撃的な人からの評判は集められるかもしれませんが、その対価として異なる意見や考えを持つ人から攻撃される可能性も高まります。
なぜかというと、攻撃的な発信をしたことで、自分を否定されたり、自分や自分の大事な人のことを悪く言われたと思う人が出てくるからです。
これはもう防ぎようがないんですよね。
やられたらやり返すという思考の人もいますし、自分に直接影響があろうがなかろうが「悪いヤツは叩き潰す」という正義感を振りかざす人もいますから。
まさに攻撃に対する攻撃の応酬。
終わりがありません。
必要以上に敵を作る必要はない
立場を明確にして情報発信している以上、すべての人から好かれるなんてことはありません。
どうしたって考え方や価値観の違いがありますからね。
現実問題として、敵を作らないことは無理です。
とはいえ、必要以上に敵を作る必要なんてないじゃないですか。
そりゃあ敵なんて少ないに越したことはないですから。
かたぴ
理由③ネット上での信用に傷がつくから
信用を築くのに時間はかかりますが、信用を失うときは一瞬。
また信用を取り戻すのには大きな労力と多大な時間が必要です。
ネット上で信用を築くのは大変
ネット上で情報発信しようと思うなら信用を築くことを避けては通れません。
影響力を伸ばしたり収益へとつなげたりしようと思うなら尚更のこと。
ネット上でのやり取りというのは本来、相手の顔が見えず、声も分からず、素性も分からないというもの。
その人の発信内容が本当なのかどうかを確かめることも困難。
そんな環境のネット上で信用を築くのはとても大変なんです。
いかにして、「この人が言う話は信じて良さそうだ」とか「この人とは安心してやり取りできそう」というのを勝ち取るかにかかってきます。
心理的なハードルが高くなってしまう
「この人攻撃的だから、下手なこというと自分まで馬鹿にされたり晒し者にされたりするかも…」
そんな風に思われてしまったら、仮に相手が興味を持ってくれても、関わろうとするハードルは大きく上がってしまいます。
そりゃ安心できないですもんね。
望んで馬鹿にされたり晒し者にされたりしたい人はいないでしょう(ドMは分かりませんが…)
8割近くの大多数の人が無関心であるネット上において、興味を持ってくれたり友好的な関係を築けたりする方というのはとても貴重なんです。
攻撃的な発信をしたことでそういった方との機会を逃してしまうかもしれない。
そう考えると、相手が安心できるような発信をしていきたいと思うもの。
悪評はネット上から簡単には消えない
ネット上に書き込まれたその人(企業)の悪評というのは簡単には消せません。
一時社会問題になった通称『バカッター』と呼ばれるような人たちはそのひとつの例ですね。
不衛生な問題行動をTwitterに投稿して炎上し、大学を退学になったり、内定取消になったり、店から賠償請求されたり。
もちろんこういったことは個人だけでなく企業でも一緒ですけどね。
不祥事を起こした企業が信用を取り戻すというのは簡単ではないですし、非常に時間もかかります。
そういった悪評の立った個人や企業がその後どうなったのかは知る由もありません。
ただ、「あのときあんな騒動を起こした人(企業)なのか…」なんて分かったら、後から関わった人にいきなり先入観や偏見を持たれてしまうことは避けられないでしょう。
一度持たれた印象を変えるのは非常に難しい。
最初からいきなりハードモードです。
かたぴ
理由④デジタルタトゥーを刻むリスクがあるから
デジタルタトゥー、すなわち電子的な入れ墨ですね。
ネット上で自分に不利にしかならず、しかも消せない証拠、自ら作りますか?
誹謗中傷とは
デジタルタトゥーの代名詞とも言える存在、それは誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)ではないでしょうか?
誹謗中傷という言葉の定義について、以下のように述べられています。
最近では「誹謗中傷」ということばセットで使用されることが多いですが、本来「誹謗」と「中傷」は別々の言葉です。
誹謗とは、根拠のない悪口で他人を誹り、名誉を汚し、貶めることをいいます。中傷とは、根拠のない嫌がらせや悪口などを言うこと。
2020年5月、テラスハウスに出演していた木村花さんが誹謗中傷により自殺するという痛ましい事件がありました。
この事件により誹謗中傷が社会問題として広く取り上げられ、誹謗中傷対策の法整備が進むきっかけともなりましたね。
ネット上のひぼうや中傷 投稿者特定の仕組み見直しへ 総務相 #nhk_news https://t.co/x9sl9UqWCB
— NHKニュース (@nhk_news) May 26, 2020
誹謗中傷による訴訟は実際に起こっている
さて、攻撃的な発信をしている人の中には
「どうせ匿名だから自分は大丈夫」
と思っている人がいるかもしれません。
でも、その考え方は改めたほうがいいですよ。
匿名だからバレない?
いやいやいや、そんなことはありません。
攻撃的な発信をしたことで情報開示請求をされ、プロバイダ上のIPアドレスを元に自分の住所までバレて、訴訟にまで至ったケースは既に存在するんですよ。
【報告】私を原告とした名誉棄損裁判について。相手方が控訴せず私の勝利で確定致しました。更に賠償金を相手が支払わなかった為、相手口座を差し押さえる事に成功いたしました。弁護士エライ。ネット上の名誉棄損や侮辱、差別、恫喝等は最終的に貴殿に却ってきます。くれぐれもマナーを守りましょう。
— 古谷経衡@新刊『毒親と絶縁する』 (集英社新書) 好評発売中! (@aniotahosyu) February 25, 2020
あと、著名人と弁護士側でも、着実に誹謗中傷対策が進んでますね。
ぼくも100万ドブに捨てて勉強(=訴訟)したので、友人・知人には積極的にその経験を余すところなく伝えてます。
ネットの中傷・デマは犯罪です。みんなで学んで立ち向かいましょう。— イケハヤ@ビジネス系YouTuber (@IHayato) March 15, 2020
テラスハウスの木村花さんの訃報見てやはり思うけど、
芸能事務所とかは、ネットの誹謗中傷に対して、【情報開示請求】ちゃんとやって訴訟したらいいと思う。
アンチに容赦など不要。損害賠償だけでなく、勤務先の会社にも内容証明送りつけて【社会的に抹殺】すべき。
— メンタリストDaiGo (@Mentalist_DaiGo) May 23, 2020
誹謗中傷と批判はまったくの別物
誹謗中傷により訴訟が話題になると、
「言論弾圧だ!」
「何も言えなくなる!」
という声が必ず出てきます。
ただ、それは誹謗中傷と批判をごっちゃにしてしまっているからではないでしょうか。
議論や論評のために、批判はぜひなされるべきものです。
物事の善し悪しを客観的に見ることができますからね。
誹謗中傷になると、それはもはや議論ではなく、相手を人格否定したり信用を故意に失墜させたりのように明確に誰かを貶める悪意が含まれています。
かたぴ
理由⑤他人に攻撃している時間なんて無いから
自分の信念が定まっていて自分のやりたいことがある人からすると、そもそも他人に攻撃している時間なんてないんですよね。
もうね、毎日時間が足りなくて足りなくて!
やりたいことの中から更に取捨選択して毎日を過ごしているような状況です。
何もリターンが得られない
誰かに攻撃をして今の生活が良くなるでしょうか?
・・・ならないですよね。
一時的にストレス発散になったとしても、また時間が経てば誰かを攻撃をしないとやってられなくなります。
ここまで解説してきた通り、むしろ承認欲求の沼にズブズブ沈んだり、自分自身の信用に傷をつけるだけです。
そんな攻撃的な発信に貴重なリソースである時間を投じようとは到底思えない、というのが率直なところ。
リターンが何も無いんじゃ美味しくないじゃないですか。
自分を大切にしてくれる人に時間を使おう
時間は誰でも1日24時間。
ただでさえやりたいことだらけで、時間が足りなくて仕方がない毎日です。
こんな状況で、他人の粗探しをしようとしたり、攻撃できそうな対象を探してTwitterを監視したり、どんな攻撃的なメッセージを送りつけてやろうか考えたり、なんてできるわけがありません。
寿命尽きるそのときまで今この瞬間も1秒1秒時間が減っているんです。
時短術や時短家電を使って1日の中に時間を作り出すことはできても、時間そのものを増やすことはできないんですよ。
誰かに攻撃的な発信をする時間があるなら、せめて自分を大切にしてくれる人に対して時間を割くほうがよっぽど有意義ではないでしょうか。
かたぴ
まとめ
- 誰かに攻撃するのを自分のアイデンティティーにしないため
- 攻撃的な発信をしていると攻撃的な人が集まってくるから
- ネット上での信用に傷がつくから
- デジタルタトゥーを刻むリスクがあるから
- 他人に攻撃している時間なんて無いから
攻撃的な発信をする人の中には「相手を変えてやりたい」という人がいるかもしれません。
相手を思ってなのか自分の正義のためなのかは分かりませんが。
いずれにしても知っておかないといけない現実があります。
他人は変えられません。
他人が自分に何をしてくれるのか?
他人はどう考えているのか?
他人がどう行動するのか?
気にしたって仕方がないのです。
気にすべきは自分の行動だけ。
こういった考え方は、自分の愛読書である嫌われる勇気という本に書かれている『課題の分離』につながります。
ぜひ参考にしてもらえればと思います????